旧立川番所書院Ⅰ 高知県長岡郡大豊町立川下名(刈屋)
2007年 05月 13日
龍馬の足跡を追いかけて立川へ
ここの紹介記事に坂本龍馬のことに触れたものは多くない
建物よりも想いは幕末へ・・・目的は坂本龍馬なのである
立川下名口番所(立川関)の歴史は古く
日本後記に797年に丹川すなわち立川駅が置かれたとある
藩主参勤交代の通路となったのは1718年からで
ここに本陣が置かれ藩主の宿所となった
なお、家老及び役人の宿所となった上名口番所があったらしい
現在の立川番所跡建物は
1790年代に立川口番所役人川井惣左右衛門忠勝が建築し
藩主の宿所とした旧立川番所書院である
明治6年頃、鈴木家が川井家より買取り
旅館にするために改装されている
写真右側が厠、左手ドアを開けると廊下があるが
藩主の部屋からの緊急時の出口があるとの説明があった
昭和48年7月に大豊町が譲り受けたのちに
昭和49年2月旧立川番所書院として国の重要文化財に指定された
昭和55年には3ヵ年かけて解体復元工事が行われている
西側の正門
入ったところがすぐ藩主の部屋となっている
藩主の部屋の縁側
上段の間、藩主の部屋
ここだけ紋が入った畳が敷かれている
書院とは書院建築を言い、立川御殿とも呼ばれた
次の間かの眺め、奥が大広間
藩主の部屋の西隣りが侍従の部屋との説明があり
正面ふすまに波を模った採光がある
模様は海の波と泡を表したものとの説明があった
奥は藩主の部屋からの隠れ脱出口につながっていると言う
大広間
侍従が膳を並べて食事を取ったとの説明
同じく大広間
坂本龍馬の記録が3件残るとの説明がある
「小さい頃より坂本龍馬が
宿泊したあたりを伝え聞いている」・・・との話で興奮する・・・
で、この旧立川番所書院の記録にあるのか
また、その3件の記録内容とは・・・聞きそびれた・・・
説明員は地元のオネーさんです・・・ムカシムカシ(^^ゞ
建物正面、道を挟んでの物見櫓
問い合せ先 立川番所
TEL 0887-78-0322
料金 大人210円/小中学生100円
開館時間 9時~17時
開館日 日曜/祝日(原則として平日は休み)
事前の申し込みにより平日も可能とのこと
撮影:2007年4月29日
平日も可能ですか・・・ルートに入れなきゃ!
いつか行ってみたいなぁ^^;
四国の真中あたりになるそうですね、ここ。
地図上、そこからだと近いんではないでしょうかね。
当時この地は宿場があったと思いますが、そんな雰囲気もない・・・
ここが高知県内とは思えませんでした・・・ここ出身の人知らんし。
地元の人にドツカレソウ・・・ゴメンシテ。
観光案内では、あまり紹介されてないような。
気が付かないだけかも。
でも、気合入っている写真ですね。
迫力あります、これでもどうかぁって迫ってきます。
実際行かなくても、迫力だけは伝わります。
先週、新宮で良く似たところ見ただけに、こちらの方が数段迫力あります。
昭和55年に解体復元工事が行われてますね、追記しました。
痛みが激しくても復元工事はせずに、できる限りは長く引っ張って
もらいたいですが・・・。龍馬が絡むと力が入りすぎて・・・笑。
なんだか私まで目の前で見ているような妙な感覚が・・。
しかも過去に見ていたような(まさか!!)
龍馬が尊皇攘夷派の水戸藩士と会見したのは
まだ、若い頃でしたよね。
たしか「坂本龍馬、誠実な人也。しかしながら時代の流れを掴んでおらず藩内のことにも疎く、会見は実りが無かった。」とそんな感じで評価されてるんでしたっけね。
この画像を眺めていると、やっぱり日本建築の素晴らしさが垣間見えますね。すてきです。(^^♪