江藤新平君遭厄地 高知県安芸郡東洋町甲浦
2010年 02月 06日
天保5年2月9日(1834年3月18日) - 明治7(1874)年4月13日
「佐賀の乱」の首謀者とし悲劇の最後を迎えた
捕縛されたこの東洋町甲浦に碑がある
峻厳極まりない取り調べで、答弁の機会も十分に与えられず
判決後即日処刑されたが
刑罰は彼が廃止し明治刑法にはない「梟首」となった
現代にあって「日本の司法の父」とまで言われる彼が
なぜこのような裁きを受けなければならなかったのか理解できない
また、この時裁いたのが彼の元部下であった河野敏鎌であり
龍馬らとも交友のあった元土佐勤王党、土佐出身である
この河野がどう言う人物であったか、疑念を抱く所である
「大正六年 甲浦青年団建立」とあり
大正5(1916)年4月11日の贈正四位を受けたものか
フェリーが台風で座礁した騒ぎもついこの前のよう思うが1999年のこと
2001年12月に航路休止からその後廃止になっている
碑は平和塔のある敷地の一画にある
この標は「海の駅」に
なお、徳島県との県境まで3分くらいの所です
室戸岬を東に回ってまだ「甲浦まで26km」の標識に目が点に (^^ゞ
Canon EOS-5D MarkⅡ、EF24-105mm F4L IS
撮影:2010年2月5日