高知県立牧野植物園
2009年 12月 20日
石鎚山へ登ったことがござあした。」
牧野博士の語り口が、山田一郎著「南風帖」に実にリアルに紹介されている
「晩のお菜(さい)にこんまいイモの煮たのがを食べました。
聞いたらコウボウイモという。弘法イモということですらあ」
「それがお前(ま)さん、苦いのなんの、下の根までしびれてしまいましたがのう。
調べてみましたら、古渡りのジャガイモでござあしたよ」
見晴らし台 Viewing Desk
老翁はまっ白い髪を揺すって、さもおもしろそうに「ほっほっほ」と笑うのだった。
それは翁(おきな)というよりも媼(おうな)に近い、
いや、性別も人別も超越した仙人のように見えた。
とある(山田一郎著「南風帖」より)
階段広場 Auditorium
一心不乱に机に向かう、晩年の博士のこの姿は感動的
「家守りし妻の恵みやわが学び、世の中のあらん限りやスエコザサ」
妻寿衛子が亡くなった年に博士が宮城県仙台市で発見
亡き妻に感謝して献名した(説明版より)
スエコザサ(寿衛子笹)
イネ科 Gramineae
牧野富太郎
文久2年まれ、土佐国(現高知県)高岡郡佐川村(現佐川町)出身
「牧野富太郎記念館」 設計 内藤廣氏
高知市五台山
静かに静かに燃え尽きた牧野博士の生き方も素晴らしい^^
寿衛子笹の物語、写真の配列完璧ですね!
ありがとうございます。でも寒くて思考が停止しておりました。
なんで今まできがつかんかったのかなあ…
いいですね。
私が尊敬する人の一人です。
小学校の卒業文集に、はっきり「牧野富太郎になるとかいてます」
またアップしてください。
変わっちゅうばあやないと、人間おもしろうない…