道編 はりまや界隈など(2)
2009年 10月 12日
又ハまあすこし何かげいでも出来れバよろしいと存じ、
此上すいきよふすれバ、実に御蔵のにわとりとやらにて御座候。
[龍馬の手紙 慶応3年6月24日 乙女、おやべ宛]
雑喉場橋から北向きの写真から再開
なお、まっすぐ行くと山田町牢舎跡に、これはこの記事後半
「はりまや界隈」と題してご案内しておりますが
この道路を堺に右手は九反田です
龍馬の継母「北代伊与」の実家の跡地が
右手九反田公園であることは先に書きました
この九反田公園の前(写真左)に藩の御米蔵があり
庭の楠の大木に鶏がたくさん住み着いていたらしく
冒頭に紹介した龍馬の手紙の御蔵のにわとりとはここの事らしい
さてこの九反田
宮尾登美子著「鬼龍院花子の生涯」で侠客のモデルとなった
鬼頭良之助こと森田良吉が住んでいた所でもあり
関連記事 → 鏡川河畔 柳原橋北詰西側
彼は「故阪本龍馬先生彰勲碑」(大正5年11月10日 高知市柳原)
建設の世話人としても名を残しております
この裏面に親族代表として北代幹美(龍太郎)の名があり
龍太郎は継母伊与の弟の息子で、龍馬がよく連れまわったらしい
さてさて、この「故阪本龍馬先生彰勲碑」
今は柳原にありません、現在一体何処にあるでしょう
知ってる人はかなり少ないと思いますが コレハマタイズレ
も一つ余談
中岡慎太郎が庄屋見習い時代に地元の窮地を救う為
藩の米蔵を開けさせたと言う逸話が伝わってますが何処でしょう
全く確認はしてませんが、ここも藩の米蔵ですね
次にこの九反田の交差点を東に行くと開成館跡が東九反田公園に
明治4年に板垣、西郷、木戸、大久保らで薩長土首脳会談が行われた所
ここの地の変遷は複雑なのでまた後日にて
少し戻って掘り川沿い旭ロイヤルの西隣の酒屋「安岡酒店」
写真は西向き、正面に「かるぽーと」の丸い屋根
正面突き当りの「止まれ」の標識のところが「遊覧船」の事務所
シルバーウイークに来高したエノカマさんらと地酒の話になり
飲んでみようかと買いに入ったら中・高時代の友人ところでした (^^ゞ
遊覧船では飲食禁止なので
県外からの方は遊覧船の待ち時間にでもいかがでしょう
高知の地酒も揃ってるので、帰りにはお土産にバッチリです (^^ゞ
なお丹後の「松栄屋」さんもよろしく
→ 京都・丹後 ええもんや本舗
さて、今回の記事の目的が位置関係をまとめるもので
以下、はしょりながらですが、是非はりまや界隈の観光のマップ代わりに (^^ゞ
詳細はいずれ別記事にて
北光社移民団出航の地
堀川を北に渡るとこの碑があります
龍馬の甥、坂本直寛が北海道北見市開拓に組織した記念地
高知市と北見市は姉妹都市
更に北、電車通りに出たところ
よさこいの競演場でもある菜園場商店街入り口
左に見えるつり具 広瀬丹吉商店と龍馬は懇意で
堀川で泳いだ後に休んだ所
正面ビルの裏の方に武市半平太道場跡があります
武市半平太道場跡
更に北に行くと「岡本寧浦先生塾舎址」
岩崎弥太郎も門人でした
写真は南向き、正面にみえるのは「かるぽーと」
更に北、次の角を左折、新堀川に蓋をする工事をしております
左手あたりに山田町牢舎(現はりまや町)
正面少し左の茶色いマンション裏に中江兆民先生誕生地
中江兆民が「龍馬の使いでタバコを買いに行った」話が残ってます
場所は京都だか長崎だったか・・・
山田町牢舎での間崎、平井、広瀬の切腹を兆民が覗いた話も残ってます
兆民から西に出ると山田橋番所跡
当時、ここを北(写真正面)に出ると郭外
参勤交代などもここの番所を経由
山田橋から真北向き、
ここに自宅のあった岡田以蔵が七児と呼ばれる所以でもある
その以蔵は山田町牢舎で打ち首になった
※訂正 七軒町は写真を左に振った橋の左(西、北詰)でした
写真は思いっきりはしょっておりますが
写真は斜め東向き、左に見える道を真っ直ぐ(東)行くと半平太道場跡
はりまや橋商店街に戻ると北の入り口に魚の棚商店街
ここは歴史も古く、半平太宅の食材もここで買われてたのではないかとの話も
道場に寄った龍馬、慎太郎らもここで買い食いをしたかも (^^ゞ
なお当時はこの左の道、すぐそばまで堀川が続いていた、と商店の人に聞きましたが
それぞれ突っ込んだ記事をいずれまた書きたい
Canon EOS-5D MarkⅡ、TAMRON AF28-75mmF2.8 A09E
SIGMA 12-24mm F4.5-5.6 EX DG ASPHERICAL HSM
撮影:2009年10月3日、10日
会員に任命致します^^
同じく保存会会員に。
あんたも入会せんかね (^^ゞ
川はおおいんですよね。
四万十は県西部ですが東の安田川周辺にも酒蔵は多いです。
写真にある「四万十川」名のお酒は、実は県東部の安芸市の
酒蔵だったりします。写真のお酒は全て県東部のものです。
このレンズF9.0まで絞っても周辺減光が。
>しかしこの道路、ちょっと非対称で
昔は市場、藩の各種蔵、商店で賑わっていたようで、その辺の歴史
にかかわってるんでしょうね。
記事後半のの番所跡も、当時の地形が色濃く残っております。
土地の歴史も面白いです。
片ボケの為、Flektogon 2.8/20は飾ったままです。
D21もあるのであわてて直す必要もないもので、ただそれ以
上の広角が問題で 。EF17-35も何か怪しいのでちょっと困っ
ております。
>泉岳寺あたりでも
柴又あたりでお願いしたいです。
地酒は本当にいいものです^^量は飲めなくても 飲む雰囲気は
大好きな私です。ついでに、肴が好きなのかも(笑
半平太先生の屋敷跡のあの公園の碑ですね。それと・・・
「つり具 広瀬丹吉商店」説明を聞かせてもらいましたね~^^
懐かしいです♪
やっぱりこうして歩きながら確かめると 実感を持てる気がしますね。
高知に行った際に、奈半利川の川辺に立った時、
この川辺で「二十三士たちが・・・」と思うと
胸が締め付けられる想いでしたからね・・・
幕末史跡、ありがとうございます。
どんどん記事が流れております (^^ゞ