勝手に写真日記


by ji5isl
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平井収二郎墓所/生誕地と平井加尾

収次郎ハ誠にむごいむごい。いもふとおかをがなげきいか斗か、
ひとふで私のよふすなど咄してきかしたい。まだに少しハきづかいもする 。
(龍馬の手紙 文久三年六月二十九日、乙女宛)
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EOS-5D MarkⅡ SIGMA 50mm F1.4 EX DG HSM





来年2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」
坂本龍馬の初恋の人とされる平井加尾の配役が高知出身の広末涼子に決定
個人的には彼女に”お龍”をやらせたかったような (^^ゞ
・・・それはともかくとして
平井収二郎はその加尾の兄としても有名な人物

平井収二郎
天保6年(1835年) - 文久3年6月8日(1863年7月23日)
名を「義比」、号は「隈山」、土佐藩士、贈従四位
天保7年生まれの説もあり、享年28、或は29歳

土佐勤王党幹部として活躍するも
藩主の祖父、大隠居山内豊資を擁立する藩政改革の推進を裏工作が発覚
前藩主で隠居の山内容堂の逆鱗にふれ
間崎哲馬、弘瀬健太らとともに切腹(京都青蓮宮令旨事件)

通説、『維新土佐勤王史』では158番目に土佐勤王党に血盟したとあるが
勤王党幹部として活躍しており、もっと早く参加していたのではと疑問に思うが
幕末研究 松田智幸 著「土佐勤王党 考察」の
「片岡佐太郎家文書 勤王同志姓名付写」では35番目
広瀬健太が34番目、間崎哲馬は44番目である
なお龍馬は37番目とある
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EOS-5D MarkⅡ SIGMA 50mm F1.4 EX DG HSM 開放

平井加尾
天保9年(1838)年~明治42(1909)年2月27日
慶応二年土佐勤王党士西山直次郎と結婚
行年72歳、墓は青山墓地

龍馬の初恋の人とされる女性で
龍馬らとの寄せ書きの袱紗が残っている

あらし山花に心はとまるとも
なれしみくにの春な忘れそ 八本こ
八本(やほ)こ>加尾の雅号

さて、平井収二郎の最初の墓は元来別の場所にあり
墓碑は何者かに捨てられた形跡があると言う
ここは明治維新後に妹加尾がかまえた二つ目の墓所で、その墓碑には
収二郎が獄舎にて爪書きにて残した辞世「嗚呼悲しき哉」を復刻しているが
墓碑の右側面 ↓ の辞世の句の大部分を藩史によって削り取られている
なお、第一番目の墓碑は発見され、別の場所にあるらしい
詳しくは → 前田秀徳著「龍馬、原点消ゆ。」
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EOS-5D MarkⅡ EF17-35mm F2.8L USM

- 平井収二郎墓所 -
龍馬の家族が眠る坂本家墓所のある
現”高知市歴史墓地公園 丹中山「墓地公園」”の北東下側
左壁面の向こうが丹中山の一部だが開発により現在は更地部分
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EOS-5D SIGMA 12-24mm F4.5-5.6 EX DG ASPHERICAL HSM

妹加尾が兄収二郎の墓に刻み
藩史によって削り取られた獄中爪書きは次の通り

ああ哀しいかな、綱常張らず
洋夷陸梁して、辺城防ぎ無し
狼臣跋扈して、蕭牆(しょうしょう)に憂いあり
世を憤り国を憂い、忠臣まず傷つく
(元は漢詩)
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EOS-5D SIGMA 12-24mm F4.5-5.6 EX DG ASPHERICAL HSM

収二郎は下士に例のない切腹を名誉な事と喜んだそうで
割腹し介錯人が一太刀刺すと「まだまだ」と次の太刀を要求し
見事な最後だったと伝わる

首打たれんと思えるに自刃を給いければ、
百(もも)千たび生き返りつつ恨みんと
思う心の絶えにけるかな
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EOS-5D SIGMA 12-24mm F4.5-5.6 EX DG ASPHERICAL HSM

- 平井収二郎生誕地 -
平井収二郎墓所の真西、丹中山を反対側に廻った所
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EOS-5D SIGMA 12-24mm F4.5-5.6 EX DG ASPHERICAL HSM

平井加尾、結婚は慶応二年29歳、西山直次郎25歳
西山直次郎はのち志澄(ゆきふみ)といい
収二郎が京都青蓮宮令旨事件で親類預けとなった際に京から高知に護送
武市半平太切腹の折には亡骸に沿い自宅まで送っている
戊辰戦争では板垣退助の迅速隊に属し転戦
その後、自由民権運動の一等発起人になり立志社の副社長
更に土陽新聞社長、自由党幹事、衆議院議員(当選6回)
隈板内閣で政党出身初の警視総監となる
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EOS-5D SIGMA 12-24mm F4.5-5.6 EX DG ASPHERICAL HSM

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EOS-5D SIGMA 12-24mm F4.5-5.6 EX DG ASPHERICAL HSM

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EOS-5D MarkⅡ SIGMA 50mm F1.4 EX DG HSM

さて、ある書籍によると、
収二郎は久万村で生まれたから号を「隈山」と言う、とあり
それが事実なら”生誕地”とするのはどうかと思うが
また、のち井ノ口村(現井口町)に移り住んだともあるが
現在ここは山手町で、現井口町は墓所の東から南一帯である
区画整理による地名変更だろうか

まぁ、本によって書いてる事が違ってたりする (^^ゞ

撮影:2009年5月9日、10日

Commented by tabikiti at 2009-05-15 08:44
この踏み切り時々通りますだ!
こんな所にそんなものが在ったんやね^^
Commented by ji5isl at 2009-05-15 10:32
tabikitiさん
ちょこちょこここを通って下校しまスたがに。
Commented by al17 at 2009-05-15 16:30
今も尚 密かに息ずいて居る霊魂を感じます^^
リアルな雰囲気が堪らなく 時代に引き込まれて
行きました。素晴らしいですね。
Commented by enokama at 2009-05-15 19:51
すごい!
詳しい写真&レポ、ありがとうございます。
これで収二郎にも陽の目が当たりますね・・・
また、うちの記事にもトラックバックしてください!
Commented by ji5isl at 2009-05-16 04:31
al17さん
有難うございます。
どう撮れば昔を偲べるのか(苦笑)、難しいトコですだ。
これがなかなか。
Commented by ji5isl at 2009-05-16 04:34
enokamaさん
ついつい文字が多くなってしまいました (^^ゞ
早速TBさせていただきました。
Commented by isyota at 2009-05-16 17:44 x
広末涼子は高知出身なんですかぁ。まだ早稲田に行っているのかな。
平井収二郎、初めて聞く方です。28才の若さで他界ですか。

Commented by ji5isl at 2009-05-16 22:38
isyotaさん
早稲田はとっくにやめてるでしょう。私ら地元が思ってるほ
ど、広末が高知出身ってのは知られてないようですね。
平井収二郎、土佐の幕末の記事には必ず出てくるといっても
過言ではないくらいの人物です。ただ、出るのは名前くらい
で、それ以上は知られてないっス。
維新以降も生きていればもっと名の残っていた人物だったか
と思います。土佐の殿様は、優秀な部下を随分殺しました。
Commented by ゆずぽん at 2009-05-17 15:30 x
見参~~~!
平井収二郎・広瀬健太・間崎滄浪の三志に死を与えたのは
大きな損失でしたね。
時が違えばもっと世に出たであろう人物達。。。
しかも間崎は中岡の師、どんなに失望したか
計り知れませんね。
龍馬にとっても つらい事件で、救いようのなかった自分を
責めたことでしょう。
Commented by ji5isl at 2009-05-17 19:03
ゆずぽんさん
「酔って候」・・・何、このたわけ!と思ってしまいますが。
土佐の歴史見ていると、本当に優秀な方々がおられました。
アメリカの戦後政策でこうなったと強く言われる方がおりま
すが、ホント、特に高知は不作ですだ。
「酒飲んで出来た子」等々揶揄される所以です。
うちの親は酒はほとんど飲みませんが(><)
by ji5isl | 2009-05-14 22:13 | 幕末関連 | Comments(10)