贈従四位 那須先生父子邸址
2009年 05月 02日
邸内に”那須道場”をかまえて多くの人材を育成した、とある
その邸跡は結構広い
子、那須信吾は那須俊平の娘婿として養子縁組で那須家に入り
土佐勤王党に加盟、吉田東洋を暗殺のうえ脱藩
天誅組を指揮する吉村虎太郎らと大和で挙兵、討死
父、那須俊平は信吾の死後に脱藩
禁門の変で忠勇隊の傘下に入り挙兵、討死
この邸跡と道を挟んだ上の段に二人の墓碑がある
→ 那須先生父子墓碑
邸跡には池跡と脇に石碑、簡単な説明版があるのみ
池から斜面下続く溝跡がある
門があったあたりだろうか
所々石垣に使ったような石が見られるが当時からのものは不明
当時あった”門”が近くの民家に移築されて残っているとの話がある
邸跡は山の斜面にあり
少し降りてみると敷地は石垣で造成されている
坂本龍馬が澤村惣之丞と連れ立っての脱藩のおり
この那須邸にて一泊している
翌日、信吾は韮ヶ峠まで、俊平は先の伊予大洲領の宿間村まで随行
さて、この山道は龍馬らが辿った道だろうか
もう150年近く昔の話
なお、龍馬らが到着したのが文久2年(1862年)3月25日とされる
翌26日に出立したとすると撮影と同じ日 (^^ゞ
高岡郡檮原町
2009年3月26日