「吉村虎太郎先生像」Ⅱ 高知県高岡郡津野町
2008年 12月 01日
天保8年4月18日 - 文久3年9月27日
享年二十七歳、贈正四位
土佐勤皇党に加盟、天誅組を結成し武装決起を計る
幕末期の土佐脱藩志士の第一号
また「天誅組の変」は明治維新の導火線となる
坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太と同じ正四位
土佐四天王と言われている
時世の句
吉野山 風に乱るる もみじ葉は 我が打つ太刀の 血煙と見よ
薩摩藩尊皇派等が粛清された「寺田屋事件」で逮捕され
土佐へ送還されたのち8ヶ月獄に入る
土佐勤皇党きっての過激分子であったらしい
「寺田屋事件」の延長が「天誅組の変」であったかもしれない
なお天誅組同志38人中、土佐脱藩18人とある
土佐での尊皇攘夷の沸騰は
この虎太郎や中岡慎太郎に代表される庄屋出身が多かった事に特徴がある
これは先に起こった”庄屋同盟”にその起因を見る事が出来
ルーツは”南学(土佐での朱子学)”に求められるとも言われるところである
これはまたいづれ・・・
なお、尊皇攘夷とも公武合体とも言われ
「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄された山内容堂の態度も
この”南学”所以のものではなかったか
いつも通り色んな角度から (^^ゞ
以前の記事はこちら → 吉村虎太郎先生像
なお、自分には → 梼原の「維新の門 志士編」
での虎太郎のイメージが出来上がっており、ちょっと違うんですが (^^ゞ
SILKYPIX Developer Studio Pro Beta版
撮影:2008年11月23日
若すぎますねー
銅像も作る人で随分違いますね。
今の我々と同じ計算だと26歳と約6ヶ月です。
>銅像も作る人で随分違いますね
こちらの銅像は角度によって表情が変わります。「維新の門」の方
はこれほどに表情は変わりませんね (^^ゞ
だいぶさむーなったね。
やはりお顔の作りからして威厳が
ありますね。
持って生まれた天性のオーラとでも
言いましょうか ここに立って
天空を斬る!!って感じの勢いを感じます。
紅葉の中に立った感じは丸で蘇った感じに
見えてドキッ!としました。
ローアングルもみんな大好きです!!痺れました。
前持ってたのとでは随分イメージが違ってましてね。
で、「点検済み」とあるので気になって気になって・・・。
前のはじゃじゃ馬、今持ってるのはちょっとおとなしすぎてね(><)
でどうするか、明日の行動のシュミレーションしてたところです(大笑)
一番好きかも~~^^ポスター風の画像もとてもイイですね♪