長宗我部元親公初陣之像 高知市長浜若宮八幡宮境内
2010年 07月 28日
長宗我部 元親
天文8(1539)年 - 慶長4年5月19日(1599年7月11日)
戦国時代 - 安土桃山時代の戦国武将
長宗我部氏第20代当主
生まれつき背が高く色白で、器量・骨柄、天晴れ類ないと見えながら
用事の外はものいわず、大事にそだてられていたので「姫若子」揶揄されていたという
その元親二十二歳、この長浜戸の本(とのもと)における初陣で
自ら槍を持って突撃するという勇猛さを見せ
後の潮江城乗っ取りでの智謀に、親である国親、家臣一同を驚かせ
「土佐の出来人」と仰がれるようになった
なお、この初陣において家臣に槍の使い方を尋ねたと云われる
「敵の目を突け」
また大将の在り方を訊いている
「むやみに猪突猛進をして先頭に立ってはなりませぬ
大将は掛らぬ者、逃げざる者でござる」
天正3(1575)年 「四万十川の戦い」で土佐を完全統一
天正13(1585)年 四国全土統一(これには異説あり)
一領具足が考案されたのは親の国親の代であるが
より積極的かつ効率的に運用、この精強な一領具足を率いて四国統一を果たした
土佐物語では「死生知らずの野武士なり」と書かれている(Wikipedia)
豊臣秀吉の軍門に降ったのち「戸次川の戦い」に豊臣側として参戦
嫡男の信親を亡くし、700余名の奨兵を失い長宗我部氏滅亡の端緒となったと云われる
さて、元共同通信社の記者、山田一郎氏の著「南風帖」に
次の面白いエピソードが紹介されている
山田氏が東京渋谷で乗ったタクシーの運転手が「種崎」さんで
出身を聞くと「大分」と言う
山田氏は高知市仁井田出身、隣が「種崎」
高知と関係はないかと聞くと「家内は高知の安芸です」
「種崎」には奥さんと立ち寄ったことがあると言う
戸次川と言うところを知ってるかとも尋ねた
「戸次川は僕の郷里のすぐ隣です」
「よくは知らんですが・・・・祖先は武士で、槍や兜があったとか・・・」
このあと山田氏が「戸次川の戦い」の話を大急ぎで語って聞かせた
種崎運転手「そうだ、僕の先祖は種崎から来たんだ」
種崎運転手の祖先が、故郷「種崎」への郷愁から付けたものなら
その想いが世代を超えて伝わったことになる
なお、その奥様ご出身の現安芸市域を拠点とした安芸氏を滅亡(1569年)に導いたのは
長宗我部元親でもあり、祖先「種崎」氏の軍勢であった、ってことはないか (^^ゞ
この元親公初陣之像のある長浜は
浦戸湾を挟んだ「種崎」の対岸になる
銅像建立寄付者の名簿に
山内家第18代当主 故山内豊秋氏の名がみえる、これも歴史
長宗我部元親公初陣之像
除幕式 平成11年5月23日
制作 濱田浩造氏
若宮八幡宮に初陣祈願のおりに陣取ったとされる
旧馬場の鎮守の森公園に建立
撮影:2010年7月19日、24日
今にもわし掴みされそうなど迫力ですね><!
足のクローズアップも踏まれそうだしぃ~
大魔神みたいな迫力が有って 流石に撮り方が
素晴らしいです。
長宗我部の気迫がグングン来るような錯覚に・・・
傑作ポチです!
あっ、このブログにはそういった機能が無いんだ~残念
では、☆☆☆3つ!^^v
>山内家第18代当主 故山内豊秋氏の名がみえる、これも歴史
これ・・・いいですね。歴史ですね・・・