島村衛吉墓所
2010年 06月 06日
(半平太獄中書簡より)
贈従四位島村衛吉先生之碑
現在南国市下島の島村衛吉墓域にあり、南国市三島神社より移転とある
島村衛吉
天保5(1834)年10月 - 慶応元(1865)年3月23日(4月18日)
生まれは天保6年とも云われ、龍馬より1つ上かまたは同年
土佐勤王党血盟者姓名簿には3番目に名が見え、名実とも幹部
剣術は半平太と同じ麻田勘七門下で
半平太が江戸の桃井道場の塾頭を務めたのち
同じく塾頭を務めたと云われる
剣術はかなりのものだったろう
現在、佐川町青山文庫に彼の佩刀が展示されている
手前の赤茶けたものから右奥の同じく赤茶けた墓碑が島村家
兄の外内も勤王党に加盟するが
同じ勤王党でよく名の出る島村寿之助の甥で
母は半平太の妻・富の伯母にあたる
また、中岡慎太郎が学問の教えを受けた奈半利の島村塾も同族である
墓所にはその数と、墓碑の大きさから島村家の繁栄が見て取れる
半平太と同日入牢
審問が開始されるのは逮捕以来8カ月、元治元(1864)年5月
その最初が衛吉であった、なお、拷問は翌年3月のこと
誠に誠に、うなり聲を聞いて、でていて世話してやり度候へとも、とふもならす、ただただ、立たり居たり。
さぞやさぞや、みなみなきもふつぶすろうふとぞんじ候。
(半平太獄中書簡より)
拷問の後、獄舎に移され、番人が気つけに水を飲まそうとしたところ
意識不明のまま「いかんぞ」と叫んで茶碗を払いのけて絶命した
と云われる(河野敏鎌後日談)
NHK大河ドラマ「龍馬伝」、第22回「龍という女」編で
島村衛吉の拷問シーンが少しだけありました (^^ゞ
Canon EOS-5D MarkⅡ、EF17-40mm F4L
CONTAX Carl Zeiss Planar 1.4/50 T* AEJ 59番台
撮影:2010年5月4日