中浜万次郎生誕の地 旧土佐国幡多郡中ノ濱
2010年 04月 18日
遭難に遭ったのが14歳、10年余りの国外を余儀なくされ
母国日本に戻るのがペリー来航の2年前
維新・開国のための天が遣わした波乱万丈の人生そのものであった
上の「贈正五位中濱萬次郎翁記念碑」の足元に彼奇縁の石臼がある
9歳のとき父が急死、兄は病弱のため近所に奉公に出る
主に米つき、子守、台所係りであったが
ある時石臼の中に砂を混ぜると早く仕上がることを考え付き
得意になってこれを行っているのを
「品質が下がる」と主人に厳しくとがめられ反発、中ノ濱を逃げ出し
隣の漁港に停泊中の宇佐浦の漁船に泳いで助けを求めた
これが宇佐浦の漁船で働くきっかけとなり、のち遭難することになった
昭和4年、公爵 徳川家達書、寺石正路撰とある
死罪を含む重罪を覚悟で帰国したのは母に会いたいがためと
鎖国のため評判の悪い日本を、開国に導くためにと云われている
突っ込み所を1枚 (^^ゞ
飯台を干してありました (^^ゞ
生家復元に向け準備中で、同地区内か記念館の近くにとお聞きした
ここまでの案内板に「中の浜」、地図には「中浜」等々の表記があり
私が聞いた地元の方には戸籍が「中ノ濱」になっていると聞きましたが (^^ゞ
Canon EOS-5D MarkⅡ、EF17-40mm F4L
SILKYPIX シネフィルム(70's)テイスト
撮影:2010年1月30日