仁淀村(現仁淀川町)「勤王志士脱藩の道」
2010年 03月 29日
養父俊平と道案内をした那須信吾は
翌4月8日に大石団三、安岡嘉助らと共に吉田東洋を暗殺
伊野から御獄を越え、この地を通り脱藩
那須信吾はかつてこの辺りで医師をしており
脱藩に際し、土地勘のあったこのルートを取ったのではないかとも言われている
或は、養父のいる地元檮原をあえて避けたのだろうか
信吾の脱藩を嘆いた養父俊平ものち脱藩、禁門の変で闘死
対岸から
「・・・御獄絶頂に到り候ところ、谷々の桜花、高根の残雪と艶を競い咲き乱れ候らえども・・・」
「向(さき)を急ぎ、ゆかり有る森村に下り着き候えども、
すべて人家をも叩かず、干飯(ほしいい)喫(と)り、高瀬村を過ぎり・・・」
NHK大河ドラマ「龍馬伝」 第13回「さらば土佐よ」が放映される朝
ちょうどここで桜を撮って来たやつを急遽幕末仕立てに (^^ゞ
昨年の記事 → 仁淀川町観光センター周辺にて
ところで「龍馬伝」はハショリ過ぎと書いてきた
ひょっとして、実際の脱藩のこの時期にあわせる為に・・・かと疑っております
モシソウナラ クダランコトヲスル
さて、記事中の文句は下記の受け売り ワハハ
後は下記にてどうぞ
仁淀川町観光センター下にて
撮影:2010年3月28日
いいかんじの桜と茅葺きですねぇ.いいなぁ.
前後して見えたのであえて書いてみました。
ただ、つけ狙ってたのは龍馬の脱藩より前からのようです。
それより、那須信吾と龍馬はかなり懇意だったはずで、その
辺が書かれてないのが残念で仕方ありません。と言ってもそ
の記録があまりないのかも、ですが。
この辺の桜は見事です (^^ゞ